これからの中学受験算数の意義と展望

97E13011 金子 幸寿郎

 

1 研究の動機

 最近よく「算数・数学嫌い」という言葉をよく耳するようになった。しかし、自分自身学校や塾などで算数・数学を習ったり多少教えたりしてきたが、算数・数学をつまらない教科と思ったことはあまりない。教え方次第によってはとても面白い教科だと思っている。中学受験の算数に至っては、「受験のためだけに勉強するだけ。なんのために勉強するんだ。」という気風が高まっている。もちろん中学受験の精神的な面などでのさまざまなデメリットは認めた上で、私は中学受験算数の面白さや意義を見つけ、これから21世紀の算数はどうあるべきかについて考え、提言してみたいと思い、このテーマで研究することにした。

 内容としては、中学受験算数のルーツをたどる中で、日本人と算数の関係を探る。そして、今の中学受験算数にいたる理由を考える。次に、中学受験の問題が習うほうにとって、どのような思考を使い、意味があるかを自分なりに分析してみる。そして、最後に2002年から新しい学習指導要領になるが、それが中学受験算数にどんな影響を与えるかを自分なりに考えて、問題の予測を立てるとともに、どうすると子どもたちにとって、楽しい算数・数学を学べるかを考えて、述べることにしたいと思う。

 

2 研究の方法

 この卒業研究の基本的な進め方は、自分なりの考えをまとめるところにあるわけだが、そのためには、中学受験算数の問題を実際に調査する必要がある。そこで、問題研究のために文献資料を収集して分析をするという方法をとることになった。

 具体的には、3中学受験算数のルーツから考えるでは、さまざまな文献研究となった。文献から分かったことをまとめる中で、過去から現在を考え、自分なりの意見を述べることとした。4中学受験算数の解法の存在意義では、実際に最近の問題を、数学の解法と比較検討をする。そのため、ここでは自分なりに分析した結果について載せることにした。5これからの中学受験算数では、2002年からの学校の変化が算数・数学教育に与える影響を考えるため、さまざまな文献を読みつつ、自分の意見もまとめることにした。このような手段によってこの卒業研究をまとめるに至った。

3 中学受験算数のルーツから考える。

  1. 現在の中学受験算数の実態

 まずは、現在の中学受験全般の実態について述べよう。現在首都圏(一都三県)の小学6年生総数の推移は、四谷大塚進学教室入試情報センター1)によれば、平成元年以来、少子化が進んでいるといえる。それにともない、中学受験者総数もここ数年減り続けていたが、平成12年中学受験者総数が増加に転じた。これは、景気が少し明るくなったということもあるが、いわゆる「2002年問題」、公教育に関する不信感が、私立へ教育環境の選択という意味で明確に結果が出てしまったといわれている。このことについては、5章でも詳しく述べる。

 さて、中学受験算数についての実態は、問題を見てみるとすぐわかるが、30年位前と比較検討してみると、明らかに学校で習わない内容の出題が増えている。昔は、学校でも考えさせる問題を扱っており、受験といえども学校で習う知識から応用するだけで解けるものがほとんどだった。しかし現在、学校教育は年々簡単になっており、中学受験算数はそれに反して年々難易度が高くなっているといわれている。つまり、現在では学校の算数と中学受験算数の間にかなりのギャップが生まれており、塾などに行かないと受験問題が解けないという皮肉な状況ができてしまっている。

 ここで、実際に問題をジャンルごとに分けてみると、次のようになる。

 ここで、中でも学校でほぼまったく習わない内容はやはり「文章題」であるといえる。現在の中学受験算数には、様々な文章題が存在するが、解き方によって○○算と名づけられている。実際に挙げると、

和差算・消去算・つるかめ算・差集め算

過不足算・年齢算・相当算・分配算・倍数算

倍数変化算・仕事算・ニュートン算・旅人算

通過算・流水算・時計算・日暦算・植木算

還元算・集合算・平均算・方陣算・周期算

 というように、30種類以上は存在するといわれている。これらの大半は、後に中学で方程式を習ってしまうと解けてしまうため、現在学校で教えることはまずない。つまり、中学受験算数特有のものなのである。この卒業研究では、文章題を中心に考えていく。

  1. ○○算のルーツ(起源)

 現在の中学受験算数独特の問題、文章題に見る○○算という言葉が、日本の書物に初めて登場したのは、仲田紀夫2)らによると、1627年に出版された「塵劫記」(吉田光由      著)が初めてといわれている。

 この「塵劫記」が出版された頃とは、川本亨二3)によると、江戸時代に入り、商業活動が盛んになり始めた頃である。商業上、計算が必要なため、そろばんが普及し、この頃の私設教育機関である寺子屋では、「読み・書き・そろばん」を中心に手ほどきしていた。その時、算数(そろばん)の往来物(教科書)としてよく使われていたのが、この「塵劫記」である。この「塵劫記」は、大正時代まで約280年間刊行され続けた名著である。この教科書の優れたところは、当時としては珍しく図解があり、具体的な計算法が示されている所にある。

 さて話を本題に戻すが、「塵劫記」が○○算のルーツであったが、吉田光由著の初版改訂本4)の中から探すと、

 などが示されている。この中には直接現在の中学受験算数の文章題に残っているものは少ないが、これからたびたび改訂される中に今でも存在する文章題が姿をあらわす。

B 「塵劫記」を考える

 「塵劫記」の目次を見るとわかるのだが、内容的には、決して初等教科書として書かれたものではないということが分かる。その理由は、この頃の時代背景として、算数の初歩(九九くらいまで)は各家庭で教えるのが常識だったとされるところがある。また何度も「〜の売り買ひ」という言葉が出て来て、今の数学から見れば非系統的で無駄が多いように見えるが、江戸時代の「算」の学習では系統的に教えることにこだわらなかったのである。「過ぎたるは及ばざるが如し」(必要以上のことを学習することは身を滅ぼす)という身分制の中で生活する庶民の生活哲学がそこにあったからである。では何にこだわったかというと、実用性があり、遊び感覚で考えて解ける問題が多く記されている。こういうところもまた人気の出た理由である。

こうして見てみると、分かることがある。それは、日本人は江戸時代の「和算」の頃から、本来算数・数学の好きな民族だったのではないかと思うのである。現在、日本の数学の学力はいまだ他国に比べ優れているのにも関わらず、「数学嫌い」が増えている。この理由の大きな要因は、受験競争の中での過密な詰め込み教育と、精神的な圧迫感などが考えられる。つまり、本当の意味での心のゆとりを持って算数・数学を楽しく学べる環境がないのかもしれない。しかし、パズルのように楽しめる余裕・ゆとりがあれば、学ぶ中で本当の勉強の楽しみが分かるとも思うのである。

次の章では、具体的に今の中学受験算数の問題解法を分析し、解く側にとってどんな思考を必要とし、どのような意味で柔軟性が養われるかを例を挙げながら自分なりに考えてみることにする。

4 中学受験算数の解法の存在意義

 〜数学の解法と比較検討による

ここでは、中学受験算数を解くときの解法を、中学で習う数学を使った解法と比較検討して、算数的解法のよさを見てみたい。

  1. 線分図を使う問題の場合
  2.  中学受験算数の中で、線分図を使う文章題に分類できるタイプの問題としては、

    ・和差算      ・年齢算

    ・割合(売買)   ・相当算

    ・分配算      ・倍数算

    ・仕事算      ・ニュートン算

     などが考えられる。ここでは、まず年齢算的な問題を考えてみよう。

    例題1

    姉は1200円、妹は840円のお金を持っていましたが、2人とも同じ値段の本を買ったので姉の残金が妹の残金の2倍になりました。2人が買った本の値段は1冊いくらですか。

    (受験算数の解法)

     

     

     

     

     

     

     

     

    上のように線分図を利用すると、2人の所持金の差(1240−840=)360円は、

    (A−@=)@にあたることが分かる。

    (1240−840)÷(A−@)=360

     よって、妹より840−360=480円が本の代金となる。    答え 480円

    (数学の解法)

     本の値段をxとおくと

    姉の残金は … (1200−x)

    妹の残金は … ( 840−x)

    姉の残金が妹の残金の2倍になることより、

    (1200−x)=2(840−x)

    この方程式を解いて

    x=1680−1200

    =480  答え 480円

    (まとめ)

     この2つのやり方の違いを考えてみよう。後半の数学の解法の長所は、このやり方は問題文通りに式を立式すれば、方程式という形式的な計算処理だけで、差を考えずにできるというよさがある。方程式ができる人にとってはすっきりした解法になる。しかし、短所というわけではないが、このやり方に慣れる事で私が少し恐ろしいと感じることは、具体的な値段のことをイメージすることなしに解けてしまうので、数に関する感覚が鈍くなるのではないかと思うのである。なんとなく習った方程式のまねごとをやっていたらできてしまったと感じる生徒も多いのではないだろうか。それに対し、受験算数のやり方は、差を考えたりすることで、一見めんどくさいが、差が@にあたると考えたりする中で、イメージが膨らみ、方程式を習ったときにその計算の意味が考えられたり、方程式の本当の便利さに気づくことができるのではないだろうか。数に対するイメージを小学生のときに鍛えておくと、真の数学の利便性に気づくことができるのではないかと思うのである。

  3. 仮定・面積図を使った問題

 受験算数特有の解法に、あることに仮定したり、数量の問題を図形で解いてしまうという考え方がある。ここでは、その代表的なつるかめ算の問題を挙げてみることにする。

例題2

1本65円の鉛筆と1本90円のボールペンを合わせて15本買い、代金を1150円払いました。このとき、1本90円のボールペンを何本買いましたか。

(受験算数−つるかめ算を使った解法)

 もし、15本全部ボールペンを買ったとすると、その代金は

90×15=1350

実際は1150円しかかかっておらず、1本ボールペンを鉛筆に替えたとすると、

90−65=25円

安上がりになるので、鉛筆の本数は、

(1350−1150)÷25=8本

よって、ボールペンの本数は、

15−8=7本    答え7本

(受験算数−面積図を使った解法)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の図のように、面積図を利用すると、斜線部分の長方形の面積は、実際に払った代金と鉛筆だけを15本買ったときの代金の差

(1150−65×15=)175円

になる。斜線の部分の長方形の縦の長さは、

90−65=25円

になるので、求める本数は、

□=175÷25=7本

答え 7本

(数学の解法−連立方程式)

 鉛筆の本数をx本、ボールペンの本数をy本とすると、本数より、

x+y=15 … @

また、代金より

65x+90y=1150 … A

@、Aの連立方程式を解いて

x=8、y=7

よって、ボールペンの本数は7本である。

 答え 7本

※このy=15−xと考えれば、1次方程式で解くこともできる。

(まとめ)

 ここでは、3つのやり方について示してみた。まず、1つ目のやり方は、全部ボールペンと仮定して考えるやり方である。このやり方は、実際にない場合をイメージして解かないといけないところがあるが、仮定できれば比較的楽な方法である。そこで、この仮定するやり方の代わりに使われるものの一つに面積図がある。面積図は、小学生の図形の得意な子にはとても有用な方法である。数量の積が、図形で表されることにおもしろさを感じられる子供には、数を見た目でとらえることができ、視覚的に分かりやすいというメリットを持つ。だから、分かる生徒にはよいが、人によっては図形に還元されるほうが難しいと感じる人もいるので、必ずしもすべての生徒に便利な方法ではない。知っておくと、図形と計算の分け隔てなく、柔軟性を養えるやり方である。そして、最後に数学のやり方だが、与えられた文章で、本数と代金の2つの視点で文字式を使った等式を作ることによって、形式的に方程式が解ければx、yが求まってしまうところに良さがある。しかし、@の話と共通するが、文字の意味を理解せずになんとなく解いてしまうと、頭の固くただ数学が解けてしまう生徒を作り出すという皮肉な結果を生むかもしれない。

5 これからの中学受験算数

 2002年に、戦後最大の教育改革が行われようとしている。学校が完全週5日制になり、学校をスリム化し、そのスリム化した分を地域社会・家庭で補充してもらうというのが基本的な考え方である。教科学習の比重を減らし、考える学習に重点が置かれるようになるという方針のようだ。生きる力を獲得することが最大の目標になっているわけだが、教科学習を軽視すると、総合学習がうまくいかず結局失敗することに気をつけないといけないと、小宮山博仁5)は述べている。生きる力とは、生活していくために最低限必要な技能や知識(リテラシー)を使って、疑問に感じたことを自分で調べていく学習をすることである。つまり、生きる力とは、自分の人生をほかの人と協力しながら、自分で切り開いていける能力と定義することもできる。このためには、意欲や関心だけ高めても、だめなのである。21世紀は創造性富んだ人間が多く求められる。そのような社会では、画一的な教育を受けた人間よりも、個性的な教育を受けた、オリジナリティある人間がもてはやされる。

 そこで、やはり重要なのは、考える力と、学ぶ喜びを子供のうちから与えることである。2002年問題は、そのような観点から考えると、正反対なのである。もちろん中学受験算数の勉強も教え方によっては、ただの詰め込み教育になってしまい、何のメリットもなくなってしまう。しかし、上手に使えば、いろいろ知性豊かな教育ができ、学校教育に足りない分を十分に補うことができるのである。そこで2002年からの教育改革に対し、受験問題として意味のある問題とはどういうものかを簡単に考えてみる。

そこで、私が一番重要だと思っているキーワードは、「いつでも新傾向の問題を取り入れる事」だと思っている。仮に今までと同じように解く問題でも、問題文の書き方を変更するだけで、塾などで学んだ事がある・なしに関わらず、全員がじっくり問題文を読んでその事についてイメージを膨らませつつ、考える事を平等にさせる事ができる。これで詰め込み教育から少しでも脱却できるようになると私は考えている。

6 さいごに

 私は、この卒業研究で、中学受験算数のよさを中心に述べてきた。ただし、くれぐれも勘違いしないでもらいたいことは、私は中学受験を推奨しているわけではない。受験とは、単純にはいえない苦悩と精神的悪影響がある。塾や家庭のやり方がまずいと、自殺に追い込まれることも少なくない。けっしてよいものではない。

 私は、考える力や発想を豊かにする題材として中学受験算数を取り上げたということである。中学受験算数には、数学にはない日本人らしい考え方と、イメージの豊かさがあり、これは21世紀になっても語り継がれてよいものだと思うのである。

 しかし、2002年の教育改革によって、算数の科目もだいぶ雰囲気が変わる。分数の計算が4年生になったり、図形の面では明らかに内容が小学校から消えるものが多い。つまり、基本的な計算を確実に身に付けることとなったが、これでは、本当の算数のよさがなくなってしまう。せっかくイメージ豊かに考えられる教科だったのが、その性質を失われようとしている。それなら、塾などで考える力を身につけられる教育をして、学校と塾が連携したり、学校でも総合学習の時間などを使い、体験学習ばかりではなく、考える力を身に付けるよう配慮していかないと、明らかに教育は劣化してしまう。21世紀の教育を担うわれわれは、このようなことも考えて教育すべきだと思うのである。

参考文献

  1. 四谷大塚進学教室入試情報センター、中学入試案内、四谷大塚、2000
  2. 仲田 紀夫、恥ずかしくて聞けない数学64の質問、黎明書房、1999
  3. 川本 亨二、江戸の数学文化、岩波書店、1999
  4. 吉田 光由、塵劫記委員会著、現代語「塵劫記」、2000
  5. 小宮山 博仁、中学受験と学力、毎日新聞社、2000