雑記帳
 
650.「他人事」(22・3・17)
 ウクライナ情勢の報道、あるいは昨夜の地震のような災害報道でもそうですが、日本や世界のできごとがリアルタイムに近い形で報じられる現代、かえってそれらが映像の画面内だけのことがらとして消費されるだけの存在になってしまう危険があるように思います(もちろん私自身も含めて)。それはたしかに他人事であって自分のことでない、という冷静さと、他人事ではあるが単なる他人事ではなく、自分にも起こり得ることだという立場に立った人間らしい優しさの双方をバランス良くもつことが大切なのかな、と思います。あるいは、情報のシャワーをときに意識的に切断して、自分なりに消化する時間が必要なのかもしれません。
 
649.「ウクライナとその他と」(22・3・9)
 ここ2週間、ニュースはウクライナ情勢とそれに関連する報道で埋めつくされている感があります。もちろん大きなニュースソースであることに違いないのですが、ヨーロッパで起こったことゆえに欧米で大きく報じられ、それがそのまま日本に大量に流れ込んできている気もします。この間ほぼまったく報じられていない中東やアフリカでも、相変わらず紛争が続き、難民も発生しているでしょうし、そういう意味でのバランス感覚も大切だと思います。世界と欧米を等号で結ばないよう、気をつけたいです。
 
648.「ロシア」(22・2・25)
 昨日、ロシアによるウクライナへの軍事行動が開始されました。本学世界史ゼミの前任者であった故・加藤一郎先生はロシア史の専門で、ロシアの歴史は「不凍港を求めて」という一言に集約されると教わったことがあります。また、ソ連から現代に至るまで、「帝国」としての原理は変わっていないともおっしゃっていました。今回の行動は、そうしたロシア史の原理と寸分違わぬものにみえ、指導者の資質だけが原因なのではなく、たしかに歴史を貫くものが存在しているようにも感じます。日々の報道に接するとき、そうした「長い目」も持ち合わせたいものです。
 
647.「『徳川家康』」(22・2・18)
 私が中学校に入る年、大河ドラマで「徳川家康」が放送され、それに触発されて山岡荘八の原作(講談社文庫、全26巻)を読んだのが、私が歴史好きになる大きなきっかけとなりました(この原作は今でもよく拾い読みしています)。今回、半年ほどかかって、当時のDVDを全回分見てみました。もちろん映像技術などの面では今と比べてずいぶん稚拙なのですが(例えば乗馬の疾走シーンなど)、俳優の演技などは当時の方が深みがあるように感じる部分もありました。家康の重臣だった本多作左衛門(長門裕之)と石川数正(江原真二郎)、あるいは織田信長(役所広司)や石田三成(鹿賀丈史)など、このドラマのイメージが深く刻まれている人物も何人かいます。何ごとによらず、大人になるまでの記憶の方が鮮烈に残るようです。
 
646.「試験」(22・2・7)
 今日から、文教大学のメインの入試が始まりました。今年は共通テストのときにいろいろなニュースがありましたが、どうも日本では(あるいは東アジア共通かもしれませんが)、試験に多くを負わせすぎているような気がしています。逆にいえば、試験というのは、その時点における人間の能力のごく一部を測るものさしであり、それ以上のものではないということです。という私自身も、自分が受験生のときは過度に緊張するタイプで、試験監督をする立場になってから上記のことに思い至った次第です。「たかが試験」と思ってみることも、ときに必要なのだと思います。
 
645.「年の瀬に」(21・12・27)
 2カ月ほど、このページの更新をさぼっていました。オンライン授業の準備に追われた昨年度ほどではないのですが、まだまだ慣れぬことも多く、何かと時間をとられている感じがあります。とはいえ、「時間は作るもの」といいますし、来年はもう少し何とかしたいものだと思います。トータルの時間が決まっている以上、その中でやりくりするしかないわけですから。
 
644.「オリックス優勝」(21・10・30)
 最後は他力ながら、オリックスが25年ぶりに優勝しました。優勝は私が大学院生のとき以来のことで、球団合併の影響もあったのか、長らく低迷が続いてきました。負け試合が多くて遠ざかっていた私でしたが(そういう意味では「良い」ファンではありません)、コロナ禍で家にいる時間が長くなった昨年から、これまでよりも中継やネットの速報を見るようになりました。かつては他チームの中継で途中経過を聞くしかなかったのが(何せオリックス戦の中継は少ないもので)、今はネットで速報やダイジェストがすぐに見られる世の中になり、改めて25年の長さを感じています。
 
643.「さいたま市岩槻区にて」(21・10・12)
 いまだ暑さの残る中、岩槻の町を歩きました。城跡が公園になっていることは知っていましたが、その公園は後北条氏時代の新曲輪の跡であること、本丸一帯の方は今は住宅地となっていることなど、歩いてみて初めて得た知識が多くありました。岩槻「市」は「区」になって以降、町としての中心性を欠きつつあるようにみえますが、こうした歴史が今後の地域づくりの一助になればと、史跡めぐりの中で思いました。
 
642.「笑福亭仁鶴さん」(21・9・3)
 先日、仁鶴さんの訃報がありました。個人的にはNHKテレビで土曜昼に放送されている『生活笑百科』の司会の姿しか知らないのですが、この番組は、関東に引っ越した私が関西の「ゆるい」感じを思い出す場として貴重でした。上沼恵美子さんの大ボラなどに笑わせられたのも、今にして思えば、仁鶴さんの名司会あってこそだったのかもしれません。ともすれば自分が輝くことばかりに必死になりがちな中、他人の良さを引き出す仕事というのは、もっと評価されて良いように思います。
 
641.「毒」(21・8・13)
 先日、茨城県自然博物館(茨城県坂東市)で「毒をもつ生きものたち」展を見学しました。家の洗濯機の裏(だったと思うのですが)から蛇が出てきたのが人生最初の記憶である私にとって、こういう類いはあまり得意ではないのですが(得意な人もそんなにはいないでしょうが)、それらの生物も生き残りをかけて毒を獲得してきたことが少しは分かったように思います。毒を用いるのは攻撃というよりも防衛のためが多い、という説明には、妙に納得しました。「毒を吐く」ことが多い人も、きっとそういうことなんでしょうね。
 
 
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